ときどき月刊ミニてんとうむし畑たより9月号

9/7は白露。早すぎた秋雨前線のおかげで短かった夏でした。

この一ヶ月(8月8日より雨つづき)で、太陽を見ること出来たのは、わずか6日だけ。

太陽大好きな夏野菜たちは早々に終り近づき。いつもなら残暑に厳しく、雨を願うのに太陽の力をもっと欲しいと願った短い夏でした。


8月31日は「やさいの日」

今回は私が幼いころの祖父母の元での野菜の思い出話をしたいと思います。
私の先祖は代々農家でした。宮津市の世屋という本当に山間の村だったので、田畑は小さく、その昔は炭焼きで生計をたてるそれは慎しい暮らしだったようです。

明治になると蚕養が盛んになり、かなり裕福な暮らしが続いたそうです。祖父は戦後、台湾から戻り、しばらくして農業を継ぎました。私が覚えている頃には、養鶏に力を入れており、他には、シイタケ栽培、カボ
チャ、稲作を行っていました。

私が小学校のころは、父の転勤の関係で横浜に住んでいましたが、夏・冬・春休みは全て祖母の暮らす世屋で過ごしました。夏休みの午後は、きまって近所の子供たちと川遊びです。滝に飛び込んだり、急流滑りをしたり。鮎を突きにいったのも忘れられない楽しい思い出です。

夏の夕食には、かならずといっていいほど瓜のスライスが出てきました。塩をかけただけ、時々マヨネーズがかかっていたり。何という品種なのか、今ではお目にかかれない美味しい瓜でした。

夜になると真暗な中、懐中電灯をたよりに墓まで、子供同志で肝試しです。懐中電灯の下でみんなで食べたスイカの甘さも忘れない思い出です。食べ終えたスイカの皮は、そのままにしておくと、翌朝、カブトムシやクワガタが集まってきたもんです。
  

私が近所で散髪してもらうときは、代金の代りに卵でした。時々海辺からやってくる漁師さんが魚と卵の物々交換していたのも時代ですね。トイレはもちろんボットン便所。数ヶ月に一度、肥汲みといって、たまった糞尿を両てんびんの桶に入れて、畑にある野ツボへ移しかえる作業があります。
力の要る仕事で、中学生になると、その作業を(いやいやながらも)任されました。

肥汲み作業はまあ悲惨なものでした。飛び散る雫に臭いのなんの、数日は鼻からそのにおいがとれません。そんな訳で、肥汲みは夕方の風呂に入る直前に行います。風呂は薪を燃やして、湯を沸かします。湯を沸かすのも子供の仕事。だから、今でも薪や炭に火をおこすのはお手のもの。

ゴウゴウと燃やして、湯が沸いた後の静かな赤い熾火(おきび)になるとそこへ、祖母が、じゃがいもやナスをアルミホイルにくるんで投げ入れるのです。ちょうど夕食のころになると焼きあがります。塩をまぶしただけの焼野菜のなんと美味しかったこと!
  

そんな世屋の暮らしの中で祖父母が必ず行っていたのが、刈草集めでした。大量に出てくる鶏糞も混ぜて堆肥を作っていました。きっと、その前の、さらに前の先祖も同じ様に刈草を集めていたと思います。ずっと昔から、田畑の土作りのために、刈草を集めることは、基本だったのかもしれません。

私たちの畑の土作りも、刈草と落葉を集めることからです。今では、業者の方でトラックで運んでくれるので、格段に楽になりましたが。

どれだけ技術が発達しても、いろんな資材が開発されても、土つくりの基本は昔とかわっていません。スマート農業やAI技術の導入が進んでも、これだけは変わることないと思います。100年前、200年前の農家と同じことを行なっていると思うと、ちょっと嬉しくもあり、誇らしくも感じます。

刈草を山積みにしておくと、やがて土になります。その土をトラクターですくいあげると、カブトムシの幼虫がたくさん出てきます。この幼虫たちが、土をつくる仕事を行なっているのです。そして、近所の子供たちが大喜びで捕りに来ます。
そんな子供たちも、この楽しい思い出をもとに、やがて農家という仕事についてくれたらうれしいな…ってかんじた8月31日やさいの日でした。

大空という巨大なキャンパスに大波を描いてみました。(秋雲作)

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