週刊ミニてんとうむし畑たより2/19〜2/25

もう40年以上前に祖母から聞いた話ですが、お嫁に来たころ(今から90年ほど前)、曾祖父母は養蚕を営んでいたそうです。今も残るその家は田の字間取り、8畳の4部屋は全て蚕が飼われており、家族が暮らすのは、後から建て増した、4畳1間だったそうです。畑には、桑の木が植えられており、来る日も来る日も桑の葉を蚕にあたえる。その蚕が桑の葉を食べる音が誰かが喋っている様だったとか。やがて繭(まゆ)をつくり、それを熱湯につけて、生糸を紡いだそうです。台所には、そのための大鍋に湯が沸いており、湯気と煙でいつももうもうとしていたそうです。「たか」と呼ばれる屋根裏に上がると、その当時の養蚕の道具が今も残っています。

そんな昔話のことも、すっかり忘れて…先週、いつもの様に妻と野菜セットの配達にでかけました。配達先での会話が楽しみの一つでもあります。

配達先のお寺の和尚さんが鮮やかな山吹色の法衣を着ていたことから、法衣の会話が盛り上がりました。厳格な仏の教えでは、自然の蚕が繭から脱皮した後の山繭から紡いだ生糸で法衣を織ったそうです。蚕といえども貴い命、殺生せず生糸を紡ぐために山などで落ちている脱皮後の山繭を拾い集めたのでしょう。

(落葉あつめをしていると、時々山繭殻を見つけることがあります。ほんのりと緑がかった白でなんともいえない、いい色です。でも見つかるのは年に1個くらい。では、法衣を1着つくるのに、いくつの山繭を集めないといけないのか…帰って調べてみると、なんと3000個!)

聖徳太子の時代に仏教が国策となってからは、大量生産の法衣のために、山繭でなく、養蚕生糸がOKになったとか。そんな法衣雑学を教えてもらい、次の配達に向かいました。

法衣が大量に必要となったとはいえ、「蚕といえども尊い命」の教えとの矛盾はどう説明したのだろう…そこは妥協か…少し、心にひっかかりながらの車の中…もう一つ、祖母から聞いた話を思い出しました。熱湯につけて、死んでしまった蚕はとってもおいしかったとのこと…貴重なタンパク源だったそうです。「蚕といえども尊い命」は最後まで無駄なく活かされ、頂いていたこと納得しました。

食べる際の「いただきます」だけでなく、袖を通す際にも命に感謝が必要だと、気付かされた配達の1日でした。

庭の紅梅が咲き出しました。