月刊てんとうむし畑便り(4/20)第122号

まだかまだかと待ち望んでいたら桜、ちょうど入学式に合わせて満開になったら、すぐに散ってしまいました。その次は、山ツツジ、ヤマブキがとってもきれいに咲いています。もう少しすれば、今度は山藤の季節。いい季節になりましたね。
フィンランドから日本に移住してこられたご夫婦が、「日本の自然は、花がたくさんあっていいですね。」
いい国に生まれたなあと思います。

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先週より、育苗ハウスに育っているトマトの苗を、畑のビニールハウスに植え付けの作業が始まりました。
てんとうむし畑では、大玉トマトの妙紅、中玉のメニーナ、プチトマトのチャコを3棟のビニールハウスで育てています。
自然農法センターで育種されているタネで、有機農業に適した品種。6月下旬より収穫が始まります。
美味しいトマトたちが届くのを楽しみにしていてくださいね。

みなさんにお届けのトマトとは別に、「木子トマト」というミニトマトを育てています。
もう10年以上自家採取している大切な種なのです。この木子トマト、丹後半島の最も山の中の、木子(きご)という集落で代々育てられていたのでこの名前がついたそうです。

梅本の家は、祖父の代まで同じ丹後半島の下世屋という集落で暮らしていました。下世屋も険しい谷間にある集落です。
そこから、急坂、ヘアピンカーブの続く道を車で30分ほど上がっていた先の山、または山の合間の村です。
平屋の落人が暮らす村として知られていましたが、雪深いのが原因で山を下りる人が相次ぎ、今では、都会から移住してペンションを営んでいる二軒があるばかり。

祖父からも、奥の木子では、以前からトマトが作られており食べたとの話を聞いたことがあります。
物流の乏しかった時代ですが、木子も下世屋も同じ世屋村だったので、交流が多く、物々交換で、祖父も食べたのでしょうね。
ちなみに、祖父は養鶏をしており、卵でなんでも物々交換していました。
私が小さい頃、散髪屋へ行くのに、祖母からお金ではなく、卵を持たされて行ったのですよ。

この木子トマト、昭和40年頃には途絶えてしまったそうです。酸味が強く、甘みがほどんどないので、売れなかったことが途絶えた理由…と京都府農業研究所の研究員の方に教えてもらいました。

想像してみてください。まだ木子トマトが盛んに栽培されていた昭和30年代…
自動車もなく、牛や人力で物を運んでいたころ、どこへ出荷していたのでしょうね。京都市内へ行くのに2日も3日もかかった頃ですよ。こんな山奥でなぜ盛んにトマトが栽培されていたのか…?謎!

こんなこと想像している時に、長らくフランスで暮らしていたからから、フランスでは、トマトを青いうちに収穫して、漬物にする話を聞きました。えっ…ひょっとすると、木子トマトでは、トマトを漬物にしてのかな?
丹後半島は、冬になると時に2mを超えて雪が積もる豪雪地です。そして、物流のない時代、冬の食料をどう備えておくか、それかとっても大事な時代でした。

祖母は、「汐霧山に初雪が降る前にたくあんを漬けなあかん」と言いながら、幾樽も漬物を漬けていました。さらに、山奥の木子は、もっと切実だったことでしょう。標高高く、夏涼しい木子は、トマトの栽培適地。出荷もしていたけど、漬物にしていたのでは?
謎はますます深まるばかり。

酸味が強く甘くないのが原因で、見捨てられたこの木子トマト…昨年、この木子トマトに新たな発見がありました。
いつものように、夏にたくさん採れた木子トマトを、みんなで酸っぱいなあと笑いながら食べてました。
この木子トマトは強健で秋になってもまだまだ実を付けます。そして、秋も深まり、そろそろ片付けようかなと思う頃、たくさん採れたこの木子トマトを食べてみると、なんと甘いのです。そして、旨味もあって、とても美味しい!!
おいしいトマトに大変身なのですよ!

酸っぱいからと諦めずに待てば、美味しいトマトに出会える。酸っぱいからと見捨てられたという説も本当かな?
ますます謎だらけ。謎めいていて、待ったものだけが味わえる木子トマト!大切に種とりする理由がわかったでしょう。

大切なこの種を永久的に種とりしてくれる方おられたらお知らせください。手渡し限定になりますが、苗をお分けします。
数名で種とりすることで、何かあっても途絶えるのを防げますから。

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